思想良心の自由で複雑すぎません?内心説,信条説,間接的制約,二文説がでてきたり,絶対的禁止になったり,何が何だか……
たしかに,思想良心の自由は判例との関係もあって,論点がよくわからない分野だな。ここで一気に整理してみようか。
思想良心の自由(憲法19条)は細かい論点が散在しているイメージがあります。これは判例の影響もあるかと思いますが,ここでは判例はあえて無視して,理論的に整理してみることにします。
なお,思想良心の自由は意外と問題としてはあまり出てこない分野です(判例も固定されているイメージがあり,問題として出しにくいのかなという印象です)。なのでさっと短時間で確認できる感じの記事にできればいいなー,と思います。
思想良心の自由(憲法19条)のポイント
思想良心の自由はまず,どのようなものを保障しているのか,どのようなものがアウトなのか,さらに他の自由権と異なり,制約の態様が大きな問題となる分野です。
今回も三段階審査論にのっとり解説します。
②憲法19条の制約の有無
③憲法19条の違憲審査基準
思想良心の自由(憲法19条)の保護領域
内心説か信条説か
まず学説上議論されているのが,内心説か信条説かです。
内心説は,憲法19条は精神作用一般を保護領域としているという考えです。
信条説は,憲法19条は個人の人格形成の核心をなすものに限定しているという考えです。
あれ?これって幸福追求権のところでやった一般的自由説,人格的利益説の対立に似ていませんか?
たしかにそうだね。よく混ざってしまいがちだから注意してくれたまえ。思想良心の自由は幸福追求権とは違って,内心説・信条説の対立はあまり問題にならないということも意識しておくようにな!
幸福追求権は,人格的利益であるかどうかによって違憲審査基準が変わるので,前提となる人格的利益説,一般的自由説はある程度重要ですが(しかし,勉強を進めていくとこの違いもあまり大きな差ではないことに気が付くと思います),思想良心の自由はたいして問題になりません。なのでこの点を答案に書かなくてもよい気もします。
幸福追求権の人格的利益説,一般的自由説については以下の記事を参考にしてください。
基本的にこの対立が問題になる場合は,信条説に立つのが有力なように感じます。
思想良心の自由の種類
種類を詳しく覚える必要はありませんが,知っておくことは論点に気づくうえで大事なのでどのようなものについて思想良心の自由が問題になるのか,見てみましょう。
②不利益取扱いを受けない自由
③沈黙の自由
④外部的行為の強制を受けない自由
③沈黙の自由が問題となった判例は存在します。内心について干渉する規定はダメなのは当たり前で,どのような内心・信条を抱いているか報告させることもダメということですね。
主に問題となるのは④外部的行為の強制を受けない自由です。思想良心にかかわる行為(内心・信条ではない)ものを強制されないというものです。わかりやすい例は踏み絵でしょう(宗教の自由の問題となりえますがここでは内心信条の自由として考えます)。踏み絵はキリスト教という信条がダメと言っているわけでも,キリスト教によって不利益な取扱いをしているわけでも,その人がキリスト教徒であるということを報告させようとしているわけでもありません。ただキリストの絵を踏むという行為をさせようとしているだけです。
しかしこの行為も思想良心の自由の問題となります。なぜなら,踏み絵によりキリストの絵を踏むという行為は信条に深く関連する行為であり,その外部的行為をさせることも思想良心の自由(憲法19条)で制約されていると考えられているためです。このようなものが④の問題というわけです。
以上①~④の自由を見てきましたが,問題となりうるのは基本的に④外部的行為の強制を受けない自由であり,たまに③が出てくる程度なので,この種類はあまり意識的に覚える必要はないと思います。
まとめ
以上,思想良心の自由(憲法19条)の保護領域を見てきました。まとめてみましたので参考にしてください。
②思想良心の自由が問題となるのが,基本的に思想良心に関連する外部的行為を強制させられる場合である。
思想良心の自由(憲法19条)の制約の有無
保護領域→制約→違憲審査基準という流れをとりますが,制約の段階で問題となりうるのが思想良心の自由です。
なぜなら上記で述べたように外部的行為されるのもダメだ,と主張する場合,その外部的行為が思想良心と深く関係することが前提でした。しかし,その前提がないとされた判例=行為は思想良心に関連しないとされた判例があるのです。
詳しくは判例理解が必要になるので,深入りしませんが,思想良心の自由の外部的行為の禁止を問題にする場合には本当にそれが制約といえるのかを考える視点は持っておいた方がよいでしょう。
思想良心の自由(憲法19条)の違憲審査基準
二重の基準論
さて,思想良心の自由(憲法19条)の保護領域,制約される場合を確認したところで,次に正当化の段階として,規制態様等から審査基準を設定する段階になると思います。
今までこの段階はあまり問題視していませんでしたが,思想良心の自由ではこの部分が問題になった判例があるので詳しめに取り上げてみたいと思います。
まず二重の基準論という考え方を見てみましょう。
二重の基準論とはざっくり言うと精神的自由の方が経済的自由よりも重要であるという考えです。
この理由づけとしては,信条説によれば,思想良心の自由は人格的形成の核心をなすものであり重要であるから,となると思います。
よって,基本的に思想良心の自由は厳格審査となります。
しかし,次に規制態様が問題になるのです。
制約態様
制約態様がどのようであるか,というのは審査基準をどれにするかに大きくかかわります。基本的に間接的制約か,直接的制約かです。
ここで判例ではいろいろな考えがあるのですが,はじめての憲法シリーズでは理論で推し切ります。
間接的制約の場合は,審査基準を一段階下げましょう!
超わかりやすいと思います。規制が直接的に外部的行為を強制しているのではなく,本来の目的からは外れて間接的に外部的行為をせざるをえないような状況になった場合は,審査基準を一段階下げて中間審査で考えるということになります。
まとめ
以上をまとめると,こういうことになります。
思想良心の自由を直接制約する場合は厳格審査をします。
つまり,規制の目的が必要不可欠で手段が必要最小限かを考えます。
思想良心の自由を間接的に制約する場合は中間審査をします。
規制の目的が重要で手段に合理性,必要性,相当性(他によりよい手段があるか)を考えることになります。
まとめ
では,今までの議論を一挙にまとめてみましょう!
②外部的行為が主に問題となり,外部的行為が思想良心に深く関連するかどうか,つまり制約の有無も問題となりうる。
③直接的制約の場合は厳格審査,間接的制約の場合は中間審査を行う。
繰り返しになりますが,これは理論で推し切っているパターンです。よりよい答案を目指す場合は判例を意識しながら修正を加えていくことになります。
また,判例としては君が代事件が有名です。行政法で少し触れた記事がありますので,行政法と憲法の関わりを感じ取りたい方は以下の記事を参考にしてみてください。
読んでくださってありがとうございました。ではまた~。
参考文献
三段階審査論に沿って解説されている基本書を紹介します。憲法の答案の書き方の参考にもなると思います。憲法独特の答案の書き方に困っている方はぜひ参考にしてみてください。